「日本の家電メーカーは、なぜ世界の主役から退いたのか?」――。ソニーは中国TCLとの戦略的提携で、テレビなどのホームエンターテインメント事業を合弁会社で共同運営することを決めた。日立は家電事業を担う新会社の株式80.1%をノジマ側に譲渡する方針だ。家電量販店でもヤマダホールディングスとエディオンが経営統合に向けて基本合意するなど、業界再編が一気に進んでいる。
だが、苦戦の理由は単純な「技術力の低下」ではないという。デジタル化で家電を作るハードルが下がり、世界規模の生産力・販路・ブランド力が勝敗を分ける時代になったのだ。IT・家電ジャーナリストの安蔵靖志さんに、日本家電が弱くなった理由と、ノジマが挑む“家電のユニクロ”構想の行方を聞いた。(丸山紀一朗、ダイヤモンドZAi編集部)
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「日本メーカーだけが負けた」は誤解?
世界で家電ビジネスが成り立たなくなったワケ
――かつて日本の電機メーカーは世界で大きな存在感がありました。しかし今は、家電事業の売却や再編が相次いでいます。なぜ、ここまで状況が変わったのでしょうか?
安蔵靖志さん(以下、安蔵) 分かりやすいのは携帯電話です。以前は三菱電機の「Dシリーズ」、パナソニックの「Pシリーズ」など、ほとんどの電機メーカーが参入していました。しかし現在、国内メーカー系で残る主なブランドはシャープの「AQUOS」、ソニーの「Xperia」、FCNTの「arrows」など、かなり少なくなっています。
家電、とりわけデジタル家電のビジネスが厳しくなった大きな理由は、製品を作るための「参入障壁」が低くなったことです。
例えば白熱電球は、フィラメントを光らせるために内部を真空にする必要があるなど、製造には高い技術とノウハウが必要でした。ところがLED電球は、LED素子などの部品を調達して組み立て、光を拡散させるカバーを付ければ作れます。もちろん品質を安定させる技術は必要ですが、白熱電球の時代に比べれば、新しい企業が参入しやすくなりました。
テレビも同じです。液晶パネルや半導体などの主要部品を調達し、組み合わせれば製品にできる。かつて日本企業の強みだった「高度な製造技術を持つ会社しか作れない」という前提が崩れたのです。
――高い技術力があれば売れる時代ではなくなったということですか?
安蔵 そうです。部品を組み立てれば一定水準の製品を作れるなら、勝敗を分けるのは、たくさん作ってコストを下げる「スケールメリット」と、世界中で売るための販路やブランド力です。
韓国のサムスン電子やLG電子、中国のハイアール、ハイセンス、TCLなどは、巨大な世界市場を相手に大量生産し、スポーツイベントへの協賛なども通じてブランドを浸透させてきました。スマートフォンで「Galaxy」を知った消費者が、サムスン電子のテレビやほかの家電を選ぶという流れも作れます。
一方、日本企業は国内市場が比較的大きく、日本国内だけでも一定の売上を確保できました。そのため、韓国企業のように「海外へ出なければ生き残れない」という切迫感を持つのが遅れた面があります。さらに中国企業は、巨大な国内市場を持ちながら海外にも展開する。規模の面で、日本企業は非常に厳しい戦いを強いられました。
ニトリやドン・キホーテも“家電メーカー”に
「工場を持たない」モノづくりが当たり前に
――参入障壁が下がったとはいえ、洗濯機や冷蔵庫のような大型家電まで簡単に作れるのでしょうか?
安蔵 洗濯機などは小型家電より難しいのですが、それでもニトリやドン・キホーテが自社ブランドのドラム式洗濯機を販売しています。なぜできるかというと、中国などに、製造だけでなく設計から請け負う企業があるからです。
「この価格で、こういう機能を備えた製品を作ってほしい」と発注すれば、設計から製造まで対応してくれる。十分な資金と販売力があれば、工場を持っていない企業でも家電メーカーになれる時代なのです。
香港で開かれるエレクトロニクス関連の展示会に行くと、中国・香港・台湾などのメーカーや工場が、多数のサンプル商品を並べています。極端にいえば、その中から製品を選び、「ここに自社のロゴを入れてほしい」「デザインや機能を少し変えてほしい」と頼めば、自社ブランドの商品を作れます。
最初は完成品を仕入れて販売する商社のような形でも、販売を重ねるうちに消費者のニーズや商品企画のノウハウが蓄積されます。やがてコンセプトを自社で固め、設計段階から発注するようになれば、実質的にはメーカーです。
昭和のメーカーは、自社で工場を持ち、設計から製造まで抱えるのが当たり前でした。しかし今は、アップルのように製品の大量生産を外部の製造パートナーに委託し、企画や設計などで強みを発揮するビジネスモデルが一般化しています。中国が「世界の工場」となり、設計や製造のノウハウを蓄積したことで、この変化が加速しました。